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こんにちはakihiroです。
今回は江戸時代の幹線道路、五街道のひとつ中山道にある宿場町の特集です。先日観光で訪れた馬籠宿・海野宿の画像を交えて紹介します。
中山道の宿場町を訪ねる江戸時代にタイムスリップ
中山道は江戸から、上野・信濃・木曽・美濃・近江を経て京三条大橋とを結ぶ、約534kmの街道である。中山道には69の宿場町があり、街道の整備により集落ができ、旅人の宿泊所や、宿泊所を取り次ぐ業務を行う本陣や旅籠などの問屋場があった。奈良井宿や中津川宿、馬籠宿、妻籠宿など今も江戸時代の面影を残し、歴史を感じる見どころや魅力がある宿場町が多数あります。
最近筆者は宿場町に訪れる機会があり、海野宿と馬籠宿を見学してきました。宿場町というのはかつて商人や旅人で栄えた町で、当時のまま建物を保存し、ノスタルジックな町並みが過去を再現していることに興味を持ち、関心を持つようになりました。できれば69全ての宿場町巡りをしたいと思っていますが、534㌔もある距離だから短期間で巡るのは難しいので、これから少しずつ訪ねて、ブログで伝えて行ければいいかと思っています。
2つの宿場町の観光レポートの前に、まず中山道の宿場町で、江戸風情のある街並みが残る名所を調べてみました。長野県と岐阜県にある宿場町を紹介します。
江戸時代の景観 現存する建物おすすめ宿場町
1.難所続きの信濃路は宿場町として栄えた
小田井宿。江戸から21番目の、長野県の御代田町南西部にある宿場町。中山道と北国街道の分岐点にあり大名が追分で宿を取り、姫君は小田井宿で宿を取ることから「姫の宿」とも呼ばれる。間口が広くゆったりとした宿場だったということだ。
望月宿。江戸から25番目の宿場。長野県佐久市望月にある、この地を仕切っていた望月氏の性や、蓼科山裾野の望月牧から望月の名がついたと伝えられている。1765年に建てられた、望月宿にある問屋を兼ねた旅籠大和屋は国の重要文化財に指定されている。
長久保宿。江戸から27番目の宿場町。長野県小県郡長和町にある、中山道難所の和田峠と笠取峠の間にあり、北国街道の分岐点にあったことから、最盛期には50軒もの旅籠があり、信濃の宿場町有数の規模を誇る宿場だった。明治初期に旅籠として建てられた濱家は、2階の部屋を広くする工夫を凝らした出桁造りであったが、旅籠として開業することはなく、住居として使用された。その後長久保宿歴史資料館として展示の場として公開されている。
和田宿。江戸から28番目の宿場町。長野県小県郡長和町にある標高820mの高地にある静かな佇まいの宿場。長久保宿の次にあたる和田宿は背後に難所和田峠があり、隣の下諏訪宿まで22kmという長丁場だったため、多くの旅人が宿場として利用し栄えた。
和田宿本陣は中山道の宿場の中でも数少ない遺構を残す建造物で、国指定の史跡である。本陣建物は大名などの要人にあてられる座敷棟と、所有者が生活する居住棟に分けられる。
下諏訪宿。江戸から29番目の和田宿の次にある、長野県諏訪郡諏訪町の中心部にある宿場町。難所であった和田峠の西の入り口として諏訪大社の下社の、社寺が周辺にある、門前町として栄えた。
本山宿。江戸から32番目の宿場町。木曽の入り口、松本平の出口として繁栄した、長野県塩尻にある宿場。出格子の2階建ての家が立ち並び、当時の面影が残る蕎麦切り発祥の地として知られている。
2.自然豊かな山深い谷の街道木曽路
奈良井宿。江戸から34番目の宿場町。長野県塩尻市にある宿場。木曽11宿の中では最も標高が高く、難所の鳥居峠を控え多くの旅人で栄え、奈良井千軒と親しまれた。街並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。花の観光地づくり大賞・美しい日本の歴史的風土百選など、数々の賞を受賞してきたこの宿場町は、連続テレビ小説の「おひさま」の舞台にもなった美を、身近に感じることができる地として、国内外から多くの人が訪れる。
妻籠宿。中津川市の隣長野県南木曽町にある。江戸から42番目の宿場町。全国で初めて古い町並みを保存した宿場町。木曽の宿場の中でも最も保存状態が良く、国の重要伝統建造物群保存地区に指定されている。約800mの通りには、飲食店や土産物店に変わった古い建物があり歴史を感じながら散策できる。
3.険しい坂道や三大難所太田の渡しを抜け美濃路へ
落合宿。江戸から44番目の宿場町。木曽路の玄関口落合宿は、岐阜県中津川市にあり、木曽路の厳しい難所を控える旅人を迎えていた。落合宿本陣は、岐阜17宿のうち、唯一当時の姿を留めている。本陣は、上級官人や大名など重要な人物を泊める施設として宿場において重要な役割果たした国指定の史跡。
中津川宿。江戸から45番目の宿場町。岐阜県中津川市にある、中山道と飛騨街道が交差し、日本各地から人々が行き交う交通・商業の重要な拠点だった商業の街として栄え、その面影は裕福な家で見られる、屋根の上にある「うだつ」からもうかがえる。
太田宿。江戸から51番目の宿場町。岐阜県美濃加茂市にある。中山道の三大難所のひとつに数えられた木曽のかけはし太田の渡しがあり、飛騨街道と郡上街道の分岐点であったことから繁栄した宿場町。
旧太田宿本陣門。1861年仁孝天皇の皇女和宮が、14代将軍徳川家茂に嫁ぐために下向した際に新築された門。現在本陣の建造物は残っていないが、旧本陣を知る遺構として正門を現存している。
坂道の宿場町馬籠宿
1.タイムスリップしたノスタルジックな街並み散策
馬籠宿は江戸日本橋から43番目の宿場町。岐阜県中津川市馬込にある宿場。今回はこの馬籠宿を観光してきたレポートを報告します。
馬籠宿は急斜面な坂道が続く石畳の宿場で、明治・大正の大火で江戸時代の建物は消失したが、住民が一丸となり町を再建し、町並み保存に尽力している。島崎藤村の故郷であることも知られ、妻籠宿とともに人気があり、多くの観光客で賑わう。
かつては長野県木曽郡山口村に位置していたが、2005年に山口村の県境合併により岐阜県中津川市に編入された。江戸時代石畳が敷かれた坂道に沿う通りの両サイドには、飲食店や土産物店があり、昔懐かしい建物を見ながら歩くことができる。
中津川の名物である、五平もちや栗きんとんなどの食べ歩きもおすすめ。
五平もち。もちというより、つぶとつぶの固まりがご飯の食感。きりたんぽのような食べ物だが、こちらのほうが風味も歯ごたえも上のような感じ。甘じょっぱいタレももちに良くからみ美味しかった。
坂の上まで登れば、恵那山などの美しい山々も一望できる見晴し台もあり、絶景が見渡せる。
岐阜県中津川市馬籠にある藤村記念館は、明治・大正・昭和の三代にわたって活躍した文豪、島崎藤村の出身地、木曽谷の最南端にある文学館。当館では、『夜明け前』『嵐』などの作品原稿、遺愛品、周辺資料、明治大正詩書稀覯本コレクションなど約6千点を所蔵。常設展示室には処女詩集『若菜集』から絶筆『東方の門』までを展示しており、一巡すると藤村の生涯をたどることができます。(藤村記念館公式サイトより)
今回この馬籠宿を歩いてみたので画像などで馬籠宿の町並みをご覧ください。
平日であるが、次々と観光バスが観光客を乗せてやってくる。
駐車場から見た風景。こちらもかなり高いところにいる。
馬籠宿は標高600mのようだ。
馬籠宿の入口付近。後ろが上り坂で、馬籠宿の土産店や飲食店が両サイドに並ぶ。
馬籠に境内を構える永昌寺。創建は1558年。島崎重綱が島崎家歴代の菩提寺として、開かれた寺。島崎家は日本の文豪島崎藤村の祖先。
永昌寺本堂脇の観音堂には、木造阿弥陀如来座像が安置されている。平安末期に製作されたものであるが、当時の小祠に安置されており、祠が荒れ誰も管理する人がいなくなり、永昌寺に移したとされる。同じく観音堂に安置されている木造聖観音立像は江戸時代に造られたものと伝えられ、木造阿弥陀如来座像とともに中津川市指定文化財に指定されている。
ここの水路は下りになっていることから流れが急で、水車が回る水のせせらぎを聞いていると癒やされる。
藤村記念館。日本を代表する文豪、島崎藤村の故郷であり、馬籠宿本陣跡の島崎藤村記念館は藤村の生家で、書斎なども展示されており、馬籠宿出身の藤村を知ることができる。
急斜面な上り坂が続く。
沿道には建物は食事処やお土産屋が並ぶ。
郵便局もレトロな建物。建物の中にはイスやテーブルが設置されており、散策の休憩スペースにもなっている。
東西南北に向ける交差点の標示板。
登ってきた道を振り返ると絶景が広がっている。だいぶ上まで上がってきた。景色が一段と絶景になる。
間もなく宿場町終点。
この先に展望台があるので、さらに上がってみる。
展望台に到着。
恵那山の絶景を一望。
馬籠宿下りの入口。
中山道や馬籠宿に関する概要を説明した案内板。
山々を見ながら下るのも楽しい。
帰りは土産店に入り民芸品を購入。
馬籠宿らしく馬の民芸品が並ぶ。
馬籠特産の民芸品や地酒、信州産りんごバターを買った。
馬籠宿の観光はこちらのサイトをご覧ください。
2.馬籠宿観光にお得なきっぷ
馬籠宿へのアクセス
東京駅➡︎名古屋駅➡︎中津川駅
JR東海道新幹線・中央本線
乗車券7,150円
特急券4,180円
中津川駅➡︎馬籠
運賃570円
北恵那バス約25分
【青空フリーパス】
フリー区間が広く飯田や鳥羽にまで広がっているが、中津川市以外のエリアも観光したい人におすすめなフリーきっぷ。
利用期間:土曜・休日及び年末年始(12月31日〜1月3日)
発売期間:通年
有効期間:乗車日当日限り
発売価格:おとな2,620円 1,310円
【馬籠線フリー切符】
中津川駅から、落合、馬籠をつなぐ1日乗降フリーのバス乗車券
有効期間:乗車当日限り
利用運賃:大人 1,300円 子供 650円
中津川駅から馬籠間を終日運行する、乗降フリーのバス乗車券です。木曽路最後の宿場「馬籠宿」から「落合宿」にアクセスがよく、区間内終日であれば乗り降りが自由なため、お好きな散策のみお楽しみいただくようなご利用も可能です。
伝統的な建造物が並ぶ静かな佇まいの海野宿
1.中山道と北国街道を結ぶ主要な宿場
そして中山道の宿場町ではないが、北国街道にある海野宿。北国街道は江戸時代に街道が発展した、中山道と北陸道を結ぶ商人が行き来した主要な宿場町。江戸から善光寺への参拝客も利用していた。ここ海野宿も訪ねましたので紹介します。
海野宿入り口前に鎮座する白鳥神社は、日本武尊の伝説を縁起とする歴史ある神社。海野氏、真田氏の守護神として祀られた神社。合格祈願・縁結び・病気治癒・長寿などにご利益があると伝えられている。
白鳥神社のシンボル、クスノキは樹齢800年、周囲7.6m、標高30mという高い巨木だ。
日本武尊が没すると白鳥が現れ、東国へ飛び去る際には、この地に舞い降りることから白鳥神社が建てられたと伝えられている。
日本武尊は東征後ここ海野を訪れた際に、この地が農作物が良くできる土地であることに感心し、あの海まで土地になればさらに豊かになると言い、この話から海野と称される。
白鳥神社に隣接する、縁結びにご利益がある媒地蔵尊。
加賀国のお姫様が縁に恵まれず、ここでお参りしたところ結婚ができたということから、縁結びのお地蔵様として信仰されている。
白鳥神社に守られている海野宿は、1625年に北国街道の宿駅として開設された。北国街道は、中山道と、北陸道を結んだ主要な街道で、佐渡で採れた金の輸送や、諸大名が参勤交代で通った道で、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。この地域の交通の要衝であった海野宿は、賑わいを呈した。
明治時代に入り宿場の機能は失われてきたが、海野は、宿場時代の広い部屋を利用して、養蚕・蚕種業で復興した。この養蚕最盛期の明治・大正時代の蚕室造りは、江戸時代の旅篭造りと良く調和して、現在まで残されてきた。
海野宿の成立は1625年。昭和61年に「日本の道百選」。続いて昭和62年には「重要伝統的建造物群保存地区」の選定をうけた。海野宿の入り口付近には、案内板が設置されている。
背景は浅間山を望む。
海野は戦国の武将真田氏の祖滋野一族である海野氏のふるさと。町並みは、江戸時代の竹籠屋づくりや茅葺き屋根。旅籠屋づくりで良く見られる2階を広い部屋にと、工夫をこらした出桁造りや、裕福な家で見られる本うだつや、2階で見られる長短2本づつ、交互に組み込まれた海野格子という美しい形をした出格子がある。明治以降では、蚕室つくりの建物で屋根の上に気抜きという小屋根が乗る特徴ある建物。
海野宿を歩いてみる。2月まで冬季は休業のためか観光客がひとりもいない。
ここに流れる表の川とよばれる水路は、旅人が足を洗ったり馬に水を与えたり、住人が洗濯するために欠かせない生活用水だ。それぞれの家の前には洗い場がある。
右の建物が袖うだつ。
屋根の上に屋根がある気抜け。
デザインが特徴的で美しい海野格子。
2階を広い部屋にと、工夫をこらした出桁造りの建物。
江戸時代と明治以降につくられた建物の調和が美しい。画像中央の屋根が袖うだつ。
宿場の表札がかかっているが、普通の暮らしをしている住民もいる。
こちらは今も宿泊所として営業しているが、一棟貸宿の貸切りとして宿泊できるようだ。
かつて宿泊所であった宿も、現在は飲食店などの店舗として使われている。福嶋屋は二八そばやくるみおはぎが食べられる。
うんのわは、お休み処と観光案内所となっている。
カフェや蕎麦屋、資料館や展示館などで使用されている建物が多い。
懐かしの玩具展示館は入館料が大人200円だ。
海野宿資料館の入館料も大人200円。
東側には田中駅。西側に行くと大屋駅だ。
海野宿の全長は650m。西側から見た海野宿の光景。それにしてもここで暮らしている人はいないのだろうか。全く人気がない。
2.海野宿へのアクセス
海野宿へのアクセス
東京駅➡︎軽井沢駅➡︎田中駅
JR北陸新幹線・しなの鉄道
乗車券3,650円
特急券2,850円
海野宿を散策した時の過去記事です。
海野宿などをランニングした時の過去記事です。
真田氏一族ゆかりの海野宿。静かな佇まいな町並みで、蚕室造りや海野格子など、工夫されて建設された伝統的建物の家並みは、芸術的視点で見られ楽しい。一方馬籠宿は日本の文豪島崎藤村の故郷であり、こちらは文学を彷彿とするイメージがあり建物はシンプルであるが水車があったり、急斜面や石垣に石畳など独創的に施しており、海野宿とは別の芸術感がありました。繁栄した宿場町、難所の中間にある宿場町。それぞれに歴史や風情がありカラーがある。また宿場町を訪ねてその宿場の歴史を知りたい。
海野宿にはしなの鉄道が便利です。
この踏切りは田中駅、大屋駅間です。
しなの鉄道の動画をご覧ください。
(。 •ω•)ノ
宿場町は江戸時代に五街道など主要な道にできた宿場だよ
(- 。 - *)
なんでキツい坂道の峠を越えたりして移動してたの?
(。 -ω-)
馬に乗って荷物を届けたり、湯治やお参りするためだね
(- 、- *)
その人たちのために建てられた宿場ってこと?
(。 ̄▽ ̄) そう 旅人が宿泊するのは旅籠
大名や身分が高い役人とかが宿泊する宿場が本陣
(- ‿ - *)
ちょうど休息したり一晩過ごすのに適した場所ってことね
(。 ̄∀ ̄)b 特に難所が控えた場所や峠の間に宿場を造った
それで集落ができて、町が発展して宿場町になったんだ
(-‿ -*)
宿場町の発展も地域によって違うのね
(# ̄∀ ̄)b 特に街道が交差してたり、分岐している地域は
人の往来が多いからより栄えた中津川宿や太田宿がそうだね
(-" -*)
太田宿は三大難所のひとつがあるところね
(。´-ω-) 木曽のかけはし 良く知ってるね!
木曽川の断崖絶壁に丸太を渡して上に板を敷いただけの桟橋
d(−∀−๑)
ヲタのワタシでしょ
(# ーωー) 太田の渡しだよ
そんな難所ないわ