
こんにちはakihiroです。
今回は奈良県にある世界遺産、華厳宗総本山東大寺の紹介です。
東大寺に詳しい情報は下記公式サイト。
東大寺は聖武天皇が国の平穏と民衆の幸福を願い、728年に建てられた山房(後の金鍾山寺)に源を発し、743年に盧舎那大仏造立が発っせられ、東大寺を総本山として創建した。

東大寺は国分寺として建立され、国家の平穏と国民の幸福を祈る道場だったが、同時に仏教の教理を研究し学僧を養成する役目もあり、華厳をはじめ奈良時代の六宗(華厳・三論・倶舎・成実・法相・律)さらに平安時代の天台と真言も加えた各研究所(宗所)が設けられ、八宗兼学の学問寺となった。
都が滋賀県甲賀市信楽町から平城に還ると、大和国金光明寺で盧舎那大仏の造像工事が始まり、749年仏身が鋳造。同時に大仏殿の建立も進んで、752年に盛大な開眼供養会が営まれた。その後、西塔や東塔、講堂や三面僧房などが造東大寺司の手によって造営され、東大寺としての七堂伽藍が順次整った。

東大寺の正門で南大門と呼ばれる我が国最大の山門。天平創建時の門は平安時代に大風で倒れ、現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人が、新たに宋様式を採り入れ再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。1199年に上棟し1203年には門内に安置する金剛力士像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は19.058mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大級の重層門である。

▼東大寺正門。南大門と呼ばれ、桃山時代に三十三間堂から移築された18m幅の壮大な八脚門で国の重要文化財に登録されている。

東南院旧境内は875年薬師堂を創建し、その後904年に佐伯院を移し寺観が整備された。位置が大仏殿の東南にあることから東南院と称され、三論宗の本所となり、尊勝院と共に東大寺筆頭の院家となった

▼東大寺本坊の山門。旧東南院で1877年に明治天皇が泊まられた。東南院は白河上皇の御行以来、天皇・上皇の御所となり、南部御所とも言われた。

鏡池(かがみいけ)は、東大寺大仏殿と南大門の間にあり、南大門と大仏殿が映り込む様子は東大寺の景観のハイライトとなっている。風のない日の方がきれいに映り込む。
▼鏡池。池にある小島が、取っ手のある手鏡のような形をしていることからそう呼ばれている。その小島には弁財天が祀られている。

▼東大寺の中門は、南中門とも呼ばれる大仏殿手前の楼門。現在の中門は、1716年ごろの再建と考えられ、国の重要文化財に指定されている。

中門からは左右に回廊が伸び、大仏殿に通じている。南大門に置かれている石獅子は、室町時代まで中門に置かれていたもの。

東大寺の大仏殿。奈良時代に創建されてから、治承と永禄の二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代に公慶(こうけい)上人によって再建された。ただ天平・鎌倉の大仏殿は桁行11間(約88m)であったが、財政困難の理由で7間に規模が縮小された。それでも高さや奥行は創建時のままの姿で残っている。
▼東大寺の金堂(大仏殿)。本尊である大仏(盧遮那仏坐像)を安置する本堂。現在の建物は1691年に完成したもので、世界最大級の木造建造物で国宝に指定されている。

聖武天皇の発願により創建された東大寺の本尊は、華厳経の教主である盧舎那大仏で、752年4月に大仏開眼供養会が盛大に厳修された。盧舎那仏の名は、宇宙の真理を体得された釈迦如来の別名で、世界を照らす仏・ひかり輝く仏という意味。左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っている。
▼東大寺大仏。正式には盧舎那仏と言う。高さ約15メートル、仏身の推定重量250トン。今から約1300年前の奈良時代、国家安泰を祈願して建立した世界最大の銅造仏。

東大寺大仏殿(金堂)の盧舎那仏(大仏)に向かって左側に鎮座している虚空蔵菩薩坐像は、1752年頃に完成した、高さ7.1メートル以上の巨大な木造の仏像。無限の福徳と知恵により人々を救う菩薩として信仰されている。国の重要文化財に指定されている。

▼虚空蔵菩薩坐像。江戸時代の代表的な仏教彫刻で、虚空のように広大無辺な智恵と福徳を象徴する菩薩で、知恵や記憶力向上、学業成就の信仰を集めている。

東大寺大仏殿(金堂)の盧舎那仏(大仏)の右側に鎮座している、如意輪観音坐像。江戸時代に造立された木造の巨大な坐像。1738年頃に山本順慶一門と大坂の仏師、椿井賢慶らにより30数年をかけて制作された仏像。

▼如意輪観音坐像。如意宝珠と煩悩を打ち砕く法輪の働きで、人々のどのような迷いも打破し、願いを叶えると言われる観音菩薩。国の重要文化財に指定されている。
東大寺大仏殿の廣目天は、江戸時代に再建された際、慶派一門によって造立された木造の四天王像の1体。大仏の奥、西側に位置し右手に筆、左手に巻物を持ち、甲冑を着て鋭い眼差しで周囲を監視している。
▼廣目天。木造四天王像の1体。西方を守り名前のとおり広く物事を見る力を象徴する神。

多聞天(たもんてん)は、特に戒壇堂に安置されている四天王像の1体が有名で、右手に宝塔を乗せ、左手には宝棒を持つ姿が特徴的。旧内山永久寺蔵の多聞天立像も重要文化財として知られている。
▼多聞天。木造四天王像の1体。この像は、北方を護る守護神として、持国天、増長天、広目天とともに配置されている。

四天王像として安置するはずであった増長天と持国天は、頭部のみの制作で未完成のまま大仏殿に安置されている。

大仏殿の柱の穴くぐり。穴は大仏の鼻の穴と同じ大きさで、くぐり抜けられれば祈願成就の御利益があるといわれている名物スポット。

この模型は、創建当初の伽藍の様子を50分の1に縮小・復原したもの。天沼俊一工学博士を中心とする各位が、東大寺登録や正倉院などの古文献を基にして、大正年間に制作された。大仏殿は現在のものに比べて東西に大きく、また100mに達する東・西両頭塔がそびえていたことが分かる。
東大寺中興の祖とされる俊乗房重源は、1121年京都に生まれ、13歳で醍醐寺に入って密教を学び、1167年入宋して翌年帰国。1180年平重衡による南都焼き打ちで伽藍の殆どが焼失したが、60歳で造東大寺司の大勧進職に任ぜられた重源は、十数年の歳月をかけて東大寺の再興を成し遂げられた。再興にあたって、大仏様とよぶ宋風建築様式を取り入れ、再建の功により大和尚の号を受け、1206年86歳で入滅された。
▼俊乗堂。大仏殿江戸再興の大観進公慶上人が、鎌倉復興の大勧進重源上人の遺徳を讃えて建立されたもので、堂内中央には国宝「重源上人坐像」が安置されている。

鐘楼の東にある寄棟造の念仏堂は、もとは地蔵堂といわれ、鎌倉時代の建物であるが、錣葺(しころぶき)の屋根は元禄年間に改修されたものという。
▼念仏堂。堂内には1237年に仏師康清が造った、地蔵菩薩像(重要文化財)が泰然と安置されている

▼国宝鐘楼。鎌倉時代の東大寺復典に大きな足跡を残した重源上人を継ぎ、大勧進となった栄西禅師が細剣したもので、大仏様にやや禅宗様的要素を加味した豪放な建物。

▼国宝梵鐘。重さ26.3トンもある梵鐘は東大寺創建当初のもので、鐘声に振り幅はひじょうに長く、日本三名鐘のひとつに数えられている。
国宝法華堂。東大寺最古の建物で、寺伝では733年の創建とされ他にも諸説あるが、2010年から始まった、法華堂須弥壇修理の際、八角二十壇の部材を測定したところ、729年伐採の可能性が出てきた。盧遮那大仏造立以前から華厳経が講じられていたと伝えられ、華厳の根本道場として呼ばれてきたが、旧暦三月に法華会が行われたことから法華堂文は三月堂と呼ばれる様なった。
▼法華堂(三月堂)。堂内には本尊の不空羂索観音菩薩像はじめ、奈良時代を代表する仏像が合計10体ところ狭しと安置されている。

二月堂の名は、このお堂で修二会(しゅにえ)が旧暦の2月に行なわれることから起こっている。良弁(ろうべん)僧正の高弟実忠(じっちゅう)の草創と伝えるが、1667年の修二会中に堂内から出火、焼失し、現在の建物はその2年後に再建された。創建当初の建物は小規模のものであったらしく、時代を経るにつれ、修二会の行法に合わせて増築されたようである。音響効果といい、内陣・外陣・礼堂などの間取りといい、行法を行なうのにふさわしい建物になっている。

▼二月堂。大仏殿の東方にあり、8世紀後期の創立と考えられる。現代のお堂は1669年に再建された正面7間・奥行10間に及ぶ大建築。国宝に指定されている。

回廊から東大寺境内や奈良盆地を一望することができ、絶景を楽しめる。

