
こんにちはakihiroです。
今回は草津温泉にある真言宗豊山派の古刹で、日本温泉三大薬師である草津山光泉寺の紹介です。
草津山光泉寺の情報はこちらのサイト。
草津山光泉寺は、白根明神の別当寺として、1200年に草津領主湯本氏が再建したと言い伝えられている。光泉寺僧職は鎌倉幕府から地頭職を賜い、寺領として白根庄の領有を許されていた。
文明十三年、近衛道興の斡施によって「勅願寺」となって、後花園天皇の勅額、柏原天皇の震翰を賜っている。また、宗祇、宗長、近衛龍山らの草津湯治の宿所でもあった。戦国時代、光泉寺僧職草津氏は猿ヶ京合戦に参戦、功労により上杉輝虎から感状を賜っている。


光泉寺は群馬県草津温泉の象徴である「湯畑」を見下ろす高台に佇む真言宗豊山派の古刹。地名は薬師耕地として3,800坪あり境内には本堂の他・釈迦堂・鐘楼堂・不動堂・湯善堂などがある。


721年に行基菩薩が病気平癒のご利益がある草津温泉を発見した際に薬師如来が祀られたのが始まりとされ、薬師堂を建立した。行基創建の有馬・道後とともに「日本温泉三大薬師」の一つに数えられている。

▼山門。朱色が印象的な仁王門形式の門の両脇には阿形・吽形の仁王像が安置されている。



▼湯善堂。祀られているのは、湯善神(ゆぜんじん)。草津温泉の恵みと人々の安全を守る温泉の守護神。

梵鐘の脇には、手水舎や筆塚と彫られた石碑があり、奥には不動尊堂が佇みそこには、不動尊像(お不動様)が祀られている。

▼梵鐘。通常の梵鐘の寿命は、500年とも1000年とも言われているが、草津温泉の酸化した空気を浴びた光泉寺の梵鐘は、70〜80年程で交換を必要とする日本一劣化が早い梵鐘。

▼光泉寺本堂(薬師堂)昭和46年建立。通称アルミ寺とも呼ばれている。開山以来多くの火災にみまわれ、5回の建て替えを経て現在の本堂となる。薬師如来が御本尊として祀られている。

釈迦堂は元禄16年、江戸の医師外島玄賀という人の発願によって建てられたことが光泉寺の宝「日月堂縁起」に記されていて、元禄時代の様式を残す、県内でも珍しい建造物である。本尊は奈良東大寺の公慶上人の作で、元禄の大仏修造の際、大仏内腹の骨木で二体の釈迦如来像を作り、大仏修造に貢献した玄賀に、その一体を贈ったもの。玄賀は夢に、薬屋二間四面の堂に安置せよとの仏のお告げを見て、草津入湯の折、この地に釈迦堂を建て安置したもの。
▼釈迦堂。東大寺公慶上人の作として伝えられていた釈迦如来は、平成17年の調査により事実であると証明された。300年を経て世に出た遅咲き如来として信仰されている。

境内には「慈悲の泉」と名付けられた池があり、湯浴み弁財天が祀られている。養老年間行基菩薩はこの地にたち眼下に光る泉を見出し、それがただの泉でなくそれがただの泉でなく、万病にきく温泉であることを喜び、薬師如来をまつり光泉寺を開く。以来泉は人々の病をいやす慈悲の泉となり、今日の草津温泉の源となった。この地はそれにちなみ「慈悲の泉」と名付けられ、名湯草津温泉に浴し、身も心も清浄になった喜びと感謝の姿をあらわす、湯浴み弁財天をおまつりした。金光明最勝王経に弁天様は、音楽、弁論、財宝、知恵の徳を司り、古くから庶民の信仰篤く、温泉に浴した喜びと感謝の象徴として親しまれている。
▼湯浴み弁財天。名湯で身も心も清浄になった喜びと感謝を表すために祀られた神様。知恵や財宝を司る弁財天が、温泉の源である「慈悲の泉」に鎮座している。

新しい薬師信仰の象徴として 令和5年11月に完成した。高さ21.4mでヒノキ造りで朱塗りのチタン葺きの屋根である。
▼五重塔。高さ21.4mの朱色のデザインである五重塔は「いい薬師」にちなみ、標高1189.4mの塔内に薬師如来が祀られている。


